どこの町でも中心市街地活性化が最大のテーマに違いない。ここ彦根市も同様である。
1990年に彦根市のフルーツショップ フルカワを訪問したときには、さびしい商店街の中で健闘する姿が強く印象に残った。駅から徒歩5分ほどの通りだというのに、商店街の通り沿いに民家もできて、歯抜け状態のシャッター通りと化している。日中の人通りもほとんどなく「よくこんな場所で商売していると思うでしょう」と言われたときには、返す言葉がなかった。当時は商店街の振興策もなく、活性化など夢のような話だった。
あれから早いもので13年の月日が流れた。その間にフルーツショップ フルカワだけでなく、彦根市全体の商店街が変化を遂げていた。
●商店街ウォッチングが楽しめる
彦根市の中心市街は、彦根城の旧城下町にあたる東西南北1.5kmの範囲で、この中に12の商店街がある(市全体では13)。彦根市の人口は約10万9000人、漸増してきたというのに、中心市街地では人口の減少と高齢化が目立ち、一方で郊外への大規模店出店などにより、商店街の空洞化が進んでいた。
これに危機感をもった彦根市では、1998年の「中心市街地活性化法」施行に伴い、1999年に「彦根市中心市街地活性化基本計画」を策定、彦根商工会議所をTMO(タウンマネージメント機関)としてまちづくりに本腰を入れ始めたのである。
ここで、主な商店街の取り組みを見てみよう。
◇花しょうぶ通り商店街:ファザードを整備し、木造の下町商家風街並みを作り出す。商店街玄関口に、レオナルド・ダ・ビンチが考案した世界最古といわれる人力飛行機のモニュメントを設置。
◇銀座商店街:道路をスラローム化して自動車が通りにくくし、段差をなくして歩行者にやさしいコミュニティ道路として整備した。老朽化したアーケードを取り替え、明るいイメージにした。
◇本町市場商店街:銀座商店街と隣接し、市民の台所として最も賑わった商店街だが、活性化に向けて住民主体で「彦根市本町土地区画整理組合」を設立。4区域に分けた『四番町スクエア』として、「大正ロマン」をコンセプトにした街並みにしている。
◇橋本商店街:空き店舗を改装し、自然の布館「よりーな」として オープンさせた。各種展示や文化教室などを通じて市民が集える場を提供し、空き店舗活用成功事例になっている。
◇おいでやす商店街:空き店舗を「おいでやす館」としてオープン。カルチャー教室など地域文化活動の場を提供している。
◇登リ町グリーン通り商店街:アーケードを撤去し、ファザードを整備。明治・大正期をイメージした和洋折衷の街並みにした。
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店内左側は1個売り中心、写真右はカットフルーツケース
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店内右手
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彦根といえば井伊家35万石の城下町である。井伊直弼をモデルにして1963年にNHKで放映された「花の生涯」効果で観光客が120万人訪れたのがピークだが、現在も観光客は多い。このため、彦根城や琵琶湖だけでなく、市街地の町歩きをして街並みや様々なイベントを楽しんでもらおうという計画を推進している。彦根城からの観光コースにもなっている彦根夢京橋商店街(通称「夢京橋キャッスルロード」)はその象徴的な存在である。道路を6mから18mに拡張し、約350mを江戸町屋風の統一イメージにして彦根市の有力な店などが出店した。
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奥は贈答品とメロン棚
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彦助をあしらった瓦のレリーフ
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この中には(財)食品流通構造改善促進機構が主催している優良経営食料品小売店等全国コンクールで第10回(平成12年度)農林水産大臣賞のせんなり亭(食肉店)、第12回(平成14年度)農林水産大臣賞のあゆの店きむら(佃煮惣菜店)の支店が出ている。また、銀座商店街には同じく十数年前に農林水産大臣賞を受賞したヤマガタヤ リカー(酒店)がある。
商店街全体がなんらかの活性化を図ってリニューアルした店が多いので、商店街も小売店も何かしら参考になるはずで、自分の商店街と比較しながら商店街ウォッチングをするのも楽しいだろう。視察するときには彦根商工会議所(http://www.hikone-cci.or.jp/)、彦根商店街連盟(http://www.hikone-kiina.jp/)のホームページを事前にチェックしておくと予備知識が得られる。また、彦根土産としては彦根夢京橋商店街にある第3セクター第1号館「夢あかり館」か第2号館「招福本舗」をチェックするとよい。これらは地元の小売店も出資した第3セクターであり、「招福本舗」では蝋燭でつくったオリジナル招き猫や他であまり販売されていない招き猫などもあって楽しめる。
●フルカワは3月に新装オープン
フルーツショップ フルカワは、彦根駅から彦根城へ向かう大通り2本目の通りを左折して2ブロック目、佐和町商店街と京橋商店街にはさまれた「おいでやす商店街」の入り口にある。
10数年前と比べてどんな変化があったかと聞くと、店主の古川竹美さんは「人通りは相変わらず少ないでしょ。あの頃のほうがもっと活気があったかもしれない」。
そうはいっても、かつての商店街はさびれたという感じさえ受けたが、今回は街並みが新しいので、受ける印象はかなり違う。2000年に商店街全体でアーケードを取り外し、ファザード改修事業を実施したことも手伝って、通りから受けるイメージが格段に明るくなっている。
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人通りが少ないと、車をつけて作業できるし、お客も車を止めやすいとプラス志向で考える
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ホテルへの納入品で朝から忙しい
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おいでやす商店街では丁稚奉公の少年「彦助」を瓦のレリーフや暖簾にあしらって、各店が統一したキャラクターとして用いている。新しい店も数店できたそうである。
フルーツショップ フルカワでは商店街の事業に合わせて店を新築した。工事期間中は隣の商店街で仮店舗営業をしたが、2003年3月に新店舗が完成した。前回訪問時には、長男の光男さんは大阪の辻調理師学校で学んでいたが、その後東京の新宿高野フルーツパーラー勤務を経て戻り、親子2代で営業してきた。
後継者がいるからこそ店を新しくしようとの意欲もわき、売場も拡大できた。商店街全体で活性化への足並みも揃い、さぁ、これからと期待をかけている時だった――。
前回訪問と大きく違っていたのは、創業者の竹松さんが亡くなっていたこと。もともと青果店だったが、2代目の古川さんが果物小売に切り替えたので、野菜は隣で実弟が引き継いでいた。だが、90年2月にはその店も閉店した。果物店だからこそ、ここまで継続できたのである。
そして、誠に残念なことに、店主夫人の初美さんもことし1月に亡くなっていた。「ちょっと倉庫に品物取りに行ってくる」と言って倒れ、そのまま帰らぬ人となった。新しい店を楽しみにしていたそうで、まだ54歳の若さだった。「兆候もなかったし、あまりに突然すぎて……そんなこともあるのかなぁ」と家族はまだ信じられないといった様子だ。
駅前商店街から左折する現在の商店街が衰退したのは、駅前にショッピングビルができ、大型スーパーが地下に入った影響が大きかったという。フルーツショップ フルカワでは大型店出店を見越して改装し、より専門店らしい品揃えをしてきた。だからこそ長年にわたって、遠方からでもわざわざ訪ねてくる果物好きのお客をつかんできたのである。
「商店街の通行が少ないから、店の前に車をおいてゆっくり買い物できるんです」
「駅前にスーパーができると聞いて2人で頑張ったので、ここ7〜8年は売上げが下がったことはないわねぇ」
かつて初美さんは明るく語ってくれた。日々お客さんとのやりとりがあり、誠実に商売をしていればなんとかなる。そんな気持ちが伝わってきた。今、初美さんの写真は店内に飾られ、家族を見守っている。
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長年のお客を大切にしながら、今後は贈答や加工にも力を入れていく
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20年来貫いてきた高品質路線は今も続いている。月、水、金曜日に往復約3時間かけて京都市場へ出向き、不足分は地元の地方市場で仕入れることも変わっていない。ただ仕入担当は光男さんになった。販売は長女の高橋篤子さんも手伝うようになり、家族3人で力を合わせている。
ホテル1社に納入しているが、これはホテル会員に出す客室用果物の用途である。フルーツバスケットの注文が1日平均30個ほど入る。ホテルや葬儀用の盛りかごの売上げ割合は約2割。店売りを重視し、新しい店になってからはカウンター奥に専用キッチンを設け、カットフルーツも開始した。メニューはこれから工夫してオリジナリティーを出すことにしているが、ジュースやアイスクリームなどの飲食関係にも関心を寄せている。
新店は入りやすく、見やすく、センスのよい贈答品がさりげなく飾られ、親しみやすさの中にも高級感があふれている。贈答客は約5割。今後は贈答需要の拡大も目指していく。
とはいえ、新店オープンから半年も経っていないので、陳列もまだまだ試行錯誤している段階だそうだ。「落ち着いたら、息子がやってくれるでしょう」。古川さんは光男さんに全幅の信頼を置いていた。家族の結束は固く、その表情はとても明るい。 (2003.8)
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