| ●円頓寺商店街で1店の果物専門店
フルーツショップ マルゼン(社名:愛知青果株式会社)は、JR名古屋駅に近い西区の円頓寺本町商店街にある。名古屋市内でアーケードのある商店街としては大須と並び称され、二本の通りからなるアーケード街には約150店舗が並ぶ。
この周辺はかつてはパチンコ店だけでも約50店、映画館も4〜5店あった繁華街だったが、今はその面影はない。同商店街でも店舗数は3分の2ぐらいに減っていて、果物を扱うのは数店になっている。食料品店が多い商店街ではないので「果物の販売だけでは厳しい」というのは、誰もが納得がゆくだろう。
93年にリニューアルした店舗は、7年経過しても高級感があふれている。でも、名古屋では高級感や見栄えだけでは売れない。実質をとる名古屋人には「お値打ち」であることが大事で、この店構えを保ちながら、お値打ち価格で提供するのは誰が考えても厳しそうである。これはどの業種にも共通なので、だからこそ名古屋で成功すればどこでも成功するといわれているのだろう。
一見すると、街の果物店。でも、店に従事するのは、中村昌郎社長、節子夫人、長男の典史さん、桂子夫人、従業員6人(うち配達担当3人)と10人もいる。では何が違うかといえば、(株)愛知葬祭(本社:西区那古野)という葬儀会社の仏事用かごを受けていることである。同社はセレモニーホール「愛昇殿」を、愛知県、静岡県、長野県など25ヵ所(うち名古屋市内に9)を経営している。
●中村昌郎社長の話
先代は、中央市場の仲卸業をしていて当時有名だった「日の丸西瓜」を一手に扱っていたという。1948年に果物専門店のマルゼンを創業した。
中村社長は、三重県松坂の出身。17歳で修業に入り、見込まれて結婚後夫妻で養子に入った。
「養父は商売が好きだけど貧乏だった。私も、貧しかったときの気持ちを忘れずにいる。何もないところから出発したので、何事にも感謝ができる。 |
 |
若い頃、近所の人にいろいろ助けてもらった。食べるものがろくになくても、腹が減ったら自分のところへこいよと言われ、親切にしてもらった。これからそういう人たちに返すのが私の役目。だからお年寄りや、よそから一人で出てきている人は身内のような気がするね。この近所にも一人暮らしのお年寄りがいるけど、夜何かあればいつでも連絡してねと電話番号を知らせているし、枕元に電話を置いて寝ている。
このへんは名古屋の下町だけど、名古屋の商店街も昔の面影がないところが増えた。スーパーは便利だけど、買い物をする人たちの人間性も変わってきたね。楽をしようという人が増えた」
愛知葬祭の社長はもともと果物屋だった。その後、結婚式場を始め、ならば葬儀もやろうということで、姉弟で二手で分かれて始めた。
「名古屋では結婚式にかご詰めを利用する習慣は少ないので、葬儀用のかごだけを扱っている。
愛知葬祭とは創業以来だから、かれこれ40年近いつきあい。セレモニーホールの愛昇殿は、愛知の『愛』に社長名の『昇』をつけられている。 最初の頃は、名前等を代書屋に頼み、書き上がると取りに行って配達するシステムだった。十数年前、名札を書くのにコンピュータを入れよと頼まれ、値段をきくと400何万円といわれた。当時は、名札みたいな大きな紙に打ち出すプリンターがバカ高かったんだね。ソフトも100万円以上した。名札を書くだけでそんなにするのかと思ったものの、5年リースで始めた。
そのときに、それまでは全部私が筆書きしていた名札を、これからは息子にやらせようと任せることにした。息子はこのときに初めて責任をもたねばならないと思ったようだ(笑)」
中村さんは1932年生まれ。一般には、コンピュータなどを入れて合理化したい息子と、そんなものは必要ないと理解がない親との構図がありがちだ。ところが、ここでは親が主導権を握った。中村さんはとにかく新しもの好きと自認する。
| 「だって、名札書きをしていると、どこにも出られないし、出ているとすぐに無線で戻れという連絡が入り、つらかった(笑)。うちは、無線の導入も早かった。無線の前はポケットベルで、発売されるという話をきいたときに申し込んだ。そのうち、アマチュア無線で連絡をとるようになり、嫁、子供たちまでみな資格をとった。便利だけど、無線の会話は他人にもきかれてしまう。そこで、業務用無線が出たときにとびついた。よいことだと思うとすぐとびつく。5台買って100万円もしたが、直接店に連絡がつくので便利。かなり遠くまで無線が届くので、行動範囲が広がった。そういうことが好きなんだな。こうすればよくなる・速くなる・楽になるということを寝ていても考えている。車で走っていてもなんとかならないかと考える(笑)」
|
 |
| 高級感はあっても、お値打ち品ばかり |
だから、若い人や関連の業者にはあれこれ注文をつけるらしい。
「まるで違った発想で、こうしろ、こう考えろといわれると、そのときは正直言って勘弁してと思うこともあるが、ワンクッションおいて考えると商売のヒントになり、役に立つんですよ」と(有)中京容器の加藤雅信社長も評価する。
愛知葬祭関連の仕事ではすごい記録がある。1999年に、愛昇殿がオープンした折、記念品としてマスクメロン2個詰めセットを9000箱用意した。
「産地の業者がとても無理と断ったらしく、うちへ話がきた。それで、半年前から産地を訪ね歩いて無事に品物を調達できた。当日は市場からトラック2台で運んだけれど、無事にやり終えたことで自信がついた。この思い出は私にとっては一つの勲章のようなものかなあ。この日はメロンがなくて市場では文句が出たという話を後で耳にしたけど(笑)」
中村社長はアイデアマンである。よいものがあるときくとすぐにとびつくし、何かを工夫しようとすればそればかり考える。パソコンにも取り組みたいのだが、息子に任せたことには口出すまいと我慢しているという。撮影のためカメラを構えると「おっ、デジカメ(デジタルカメラ)だね」、デジタルレコーダーを目にすると「それは新しい録音機?」と興味をもつ。この好奇心が新たなことを考える原動力になっている。
盛りかごも、見た目がきれいで、なおかつ果物の保存状態もよく、ゴミを出さないを念頭に置き、ウエディングによく用いられるレースをかぶせることを考案した。
「やれないことはないと思っている。できない、今度やる、後でやるというのは嫌い。かごを引き取りに行くと、よそのかごまで持ち帰らねばならないことがよくあるけど、このときに、新聞紙をかごの台にしている店がある。新聞紙の屑がはんぱな量でない。なのに、うちが金を出して処分しなければならないのが一番の悩み。45リットル捨てるのに名古屋市では業務用は200円かかるけれど、それを5〜10袋も出す。1ヵ月にしたら相当な出費だよね。
台のかごも、うちのものではないのに、切って、燃えないゴミのときに出す。リサイクルできて、ゴミの出ないかごを工夫すればよいのにと思う。そうでないと、かご自体が消費者に敬遠されてしまう。かごについている造花の処理も大変。派手になると、その分ゴミの量が多くなる。
私は果物屋のつくる仏事用のかごは、生の果物を主体にしたほうがよいと思っている」
9月11〜12日に集中豪雨が名古屋を襲ったが、消防団団長として被災地に応援にかけつけた。このとき、被災者をのせてボートをこいだ。水に浸かった狭い道路を進むために、時には中村さんが腰近くまで汚水に浸かってボートを舵取りした。
「お年寄りや子供さんを優先してとお願いしても、若者が先にボートに乗ってくる。若い人は自分で歩けと言いたくなったね。私が消防関係者だと思いこんでいるのか、被災者は『パンはいらないから、おにぎりをもってこい』とぜいたくなことを言う。降りるときでも、ありがとうの言葉が一言も言えない。途中で船をひっくり返したくなったよ(笑)。今の教育では、ありがとうの一つも言えないのかと勉強になったね。ありがとうといっても声が減るわけではないのに、親から教わらなかったのだろうか。あわれだなあと思った。若い人たちは、きちんと『ありがとう』といえる人間になってほしい。
濡れたままで座ってこいでいたから、風呂で見たら尻が猿のように赤くなっていた(笑)。つらい一日だった」
中村さんは、名古屋果実商業協同組合でも役員として貢献し、10月25日に開催された50周年式典では、組合功労者として表彰された。これからも感謝の気持ちを忘れずに、恩返しの意味を込め、人に親切にしていきたいという。
●中村典史さんの話
マルゼンでは1998年、店近くに165uの2階建て倉庫を建設した。それまでは2ヵ所の倉庫を借りていたのを1ヵ所に集結させた。
|
店裏の冷蔵室に常時生果を盛ったかご、倉庫の2階に缶詰などを盛ったかごを保管しておける。これで、当日急に注文が入っても対処できるという。倉庫は1階に冷蔵庫があり、2階がかご置き場になっている。2階で作業した荷については、折り畳み式の両手付き台車をリフトにのせて、上げ下げできる。リフトが上にあがるとリフトと2階との間の隙間をふさぐために板が降りてスロープ状になり、荷下ろしなどの作業がしやすくなっている。使いやすさを考えた特注品だ。
「親戚一同とか兄弟一同など、親族の連名かごの時代になってきました。
私どもはどのような注文が入ってもすぐに対応できるように努力することが条件だと思います。
|

|
昨年のメロンの大量注文についても、値段よりも商品確保が大変でした。しかし、皆様の協力で無事に確保することができました。世の中は自分の力だけではできないということがよくわかりました」
そして、こんなエピソードもある。
「今日(10月25日)は市場が休みでしたが、故人がザクロを好きだったのでお供えにしたいとの注文が入り、手を尽くして3個入手しました。1時間早くもっていったところ、たいそう喜ばれ、1500円の代金に5000円をぜひ受け取ってくれと言われました。先方にすれば3倍のお金を払っても、うれしかったのですね。自分が誠意をもって努力したことがお客様に喜ばれ、認めていただけて私もほっとしました。
時期はずれの果物を望まれることもあるのですが、そうしたものでもなんとかして探し出すのが私たちの使命だと思っています。今後もお客様の喜びを求めて、新鮮でおいしい果物をお届けできるようにがんばります。新鮮な果物をたとえ1つ、1かごでも売れるようにと、拡販に努めています。現在ある仕事を一生懸命することも大事ですが、一方では新しいことを模索して前向きに進むという自覚も必要です。果物業界もこれから大変な時代がくると思います。お互いにがんばりましょう」
仲間へのエールを送り、今日も名古屋市内を走り回っている。 (2000年.10月取材) |
|
| 特注のリフトで作業を効率化 |
|
|