●町の現状
「昭和の町」づくりには、市内4商店街(中央通り、新町1丁目、新町2丁目、駅通り)が参加している。通りの総延長は500m、うち建物は67しかない。ここに、2階営業も含め100の店舗や住宅が軒を連ねる。営業している店は60店、だが空き店舗は27もある。一般に、商店街の中に住宅ができはじめると、なし崩し的に住宅街になる可能性があるが、住宅もすでに13軒できている。
「昭和の町」は2001年(H13)9月に立ち上げたときに、60店のうち12店が参加し、翌年10月に9店が加わった。商店街の店17店のほか、写真館、工芸館、来訪者のお休み処を設けた交流館などを含め、現在は21店。参加店の店頭には「○号館」と書かれた小さな看板が掲げられ、昭和30年代の「一店一宝」がショーウィンドーや店内に飾られている。さらに現在の人気商品「一店一品」も扱っている。
「一店一品」を扱う食品小売店は6店。たとえば2号館の千嶋茶舗のお宝は「貨車借り切りの特大茶箱」、名物の一品は「茶袋も昭和の玄米茶」。6号館、森川豊国堂のお宝は「アイスキャンデーの行商自転車」、店内にはアイスキャンデーや駄菓子など昔懐かしい商品が並ぶ。7号館、日名子鮮魚店のお宝は「初代形見の創業看板」で、一品は「おかみ手づくりの干し魚」。これらはレトロな雰囲気の案内パンフレットでよく分かる。
「昭和の町」は、建物、お宝、商品、商人の4要素が揃うことが基本条件。気軽に店に入り、店主の説明を聞けるというような親しみやすい雰囲気がある。
呉服店には1日に何人ぐらいが来店するのだろう。12号館の瓦屋呉服店には、バスが到着するたびに客が訪れ、店主夫妻は説明や対応に追われる。小物類が土産としてよく売れている。
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| 12号館:瓦屋呉服店。店主の説明を聞く観光客 |
●なぜ昭和の町になったか
最も歴史ある中央通り商店街は江戸時代から続いている。新町通りは初めて九州地区の大型量販店が出店した商店街で大型店と共存共栄し賑わったときもあったが、いまでは大型店が撤退し商店街は取り残された。駅通り商店街も1965年(S40)に大分交通宇佐参宮線も廃線となりすっかり落ち込んでしまった。
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さらに悪いことには、昭和50年以降213号線のバイパス沿いに大型店が次々に出店し、商業集積が移っていった。なんとかしなくてはと危機感をもつ人はいても、商店街は衰退し続け、5年前の超大型店出店により、息の根がほぼ止められる状態になったのである。この段階でかなり商店街が危機感を持ち始め、数年間は誰からも一笑に付されていた「昭和の町」計画が本格的に検討され始めた。そのころまで、商業者の大半は、中心市街地既存商店街の将来性を悲観し、コバンザメ商法的に郊外の大型店近くに共同ビルを建てて商売をするしか生き残り策はないとさえ考えていた。したがって、商店街の存続にこだわり、テーマを昭和30年代にするというばかげた企画はドンキホーテのようにも受け取られていたのである。
だが、もはや大型店には追いつけない、今後新しい時代の波を追っても道は開けそうにないと厳しい現実を受け入れたとき、可能性として「昭和」というテーマが残されていたのである。商店街が元気だった昭和30年代の良さを復活させ、新たな魅力を作り出そうという作業が始まった。
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都市計画からも外れ、町並みがそのまま保存されていたこと、商店主らが昔の建物のまま営業していたことも幸いした。商店街の建物は7割以上が昭和30年代以前のもので、外観の化粧をはがすぐらいで昭和の町並みが再現できた。
豊後高田市には8つの商店街があり、それぞれに歴史も特徴もあるが、「昭和の町」計画には4つの商店街が手をあげた。
●理想の町づくり
「昭和の町」がマスコミに登場すると、観光客の声ばかりが取り上げられるが、観光客だけをターゲットにしているわけではない。掲げている目標は、「商業と観光の一体的振興」である。商業を振興させ、定住人口となっている地元住民に再度商店街を見直してもらう、買い物に戻ってもらうことが商店主の願いである。とはいえ、人口1万8000人の町で定住人口だけをあてにしていては商店街が成り立たない。そこで、観光の振興を図って、観光客を新たな顧客として呼び込もうとしたのである。地元客、観光客、それぞれに対する期待は同じだけの比重をもっている。
「30年かけて地元の人に見捨てられ、犬猫しか通らない商店街」。この表現は少しもオーバーではないのだそうだ。商店街の人たちも、地元客に戻ってもらうのは至難の業であることは覚悟している。それならば、まず観光客の確保を先に目指そうと発想を切り替えた。結果として、昭和30年代というテーマが観光客に懐かしさを呼び起こし、いまや月1万人が訪れるようになった。
●観光バス誘致が人気の決め手に
ターゲットのひとつが観光客となると、誘致が必要となる。大手旅行代理店の福岡支店に出向き、「熱い思いで、昭和の町を立ち上げたので、バス1台でいいから見に来てください」と頼み込んだ。町の楽しさを伝えようと、藤原さんがボランティアの案内役に手をあげてくれた。この「おもてなし」が大好評で、いまでは観光バスが1日平均約10台もやってくる。案内役が2人しかいないため、予約待ちをしてもらっている状況だ。
「昭和の町」の駐車場近くには、昨年秋、町の魅力を増すハードの演出として古い米蔵を活用して「昭和ロマン蔵−駄菓子屋の夢博物館」を造った。この館長を務める小宮裕宣さんは駄菓子屋を経営していたが、玩具など20万点の収集品と一緒に福岡から移転してきた。これも4年がかりで足しげく通ってきた豊後高田の人々の熱意にほだされたからである。
可能性が半々ならば、やらずに後悔するよりも、やったほうが後悔はしないのではないだろうか。お手並み拝見と静観する人は常にいるものだが、手をこまねいていたのではどの方向へも進めない。 |

昭和の町・ロマン蔵-駄菓子屋の夢博物館に隣接するゆったりとした駐車場 |
●空き店舗・後継者問題をどう解決するか
商店街の課題といえば空き店舗、駐車場、店主の高齢化、後継者問題、大型店との競合などだが、当商店街ではありとあらゆる「商店街の負の要因」が見本のように揃っていた。
空き店舗は現在も27あるが、昭和の町が知られるにつれて他から参入の引き合いがきている。「空き店舗は外からの参入で埋めて、どちらかといえば観光に軸足を置きたい。おそらくはいかにも昭和といったような店が増えていくでしょう。現在営業中の60店はこの商店街ならではの生活のにおいを失わずにいきたいと考えています」(商工会議所)
空き店舗に地元の店が入った事例もある。餅製造業者の餅屋清末では、一流銀行に勤めていた2代目がUターンし甘味処を併設した菓子店を開いた。店主の清末浩一さんはまだ30代半ば。商店街の後継者問題を打開する担い手としても期待されている。
駐車場は、商店街の入り口近くに広い敷地を確保し、連日観光バスでにぎわっている。
●今後の課題
ここまでは予想以上のスピードで展開してきた。なんせ1年半前までは青息吐息の状態であった商店街に1日10台もの観光バスが来るようになり、マスコミ、特にテレビの紹介で知名度も全国区になってきたのである。
このことを商店街の人々は「奇跡が起きた」と素直に喜ぶ。参加した21店、それを支援する市民ボランティアがモーレツにがんばり、商工会議所がコーディネーターとしての役割を果たし、行政もハード面の補助金などで支援してくれた。
しかし、ここで手綱を緩めたら、一過性のブームか単なるイベントで終わってしまう。これを永続させるのであれば第二、第三の奇跡を起こしていかなければならない。そうなると、個店の努力では限界があり、黒子役の商工会議所を中心にしたマネジメントシステムを考える段階にきている。
これだけ話題になってはいるが、地元客で戻ってくる人は少ない。観光客など、他地域から高い評価を得ることで地元客に見直してもらうしかないと商店街では考えている。
では、どれほどの経済的効果をおさめられたか。お店の人に聞くと、「売り上げが上がった」「楽しい」「毎日が励みになる」etcと笑顔と明るい声で答えてくれた。先代や先々代がつくっていたものが、昭和という光を当てるだけで甦ったのである。
3号館の肉のかなおかでは、初代おかみが家族のおかずに作っていたコロッケ(50円)が平均で1日1000個、売れる日は1日3000個も売れるようになった。
どの店も、現状では驚きと喜びに浸っている状態で今後を考えるゆとりはないが、商工会議所では、次の段階を見据えて冷静に判断している。
「コロッケやアイスキャンデーをその場で食べてもらうのは、お客にとってはお遊びであり、商店街の経済成果にはつながりません。次には、自宅に持ち帰れるようなセット、近所へ配れる土産品づくりというように、昭和のもともとの味を生かしながら何らかの組み立てをしていく必要がある。単価2000円ぐらいの土産品を各店で用意できるようになれば成果が上がっていくでしょう。
しかし、昭和30年代ときわめて明快にテーマを設定しているにもかかわらず、1店1品さえ出ていなかったり、売れるからといってどこにでもある商品を仕入れて売ったりするのでは、楽しみに訪ねてくるお客様に対しても失礼です。ですから、現状に満足せず、次の段階を考えていってほしいのです」
もうかつてのジリ貧商店街の商人ではない。だから、目先の利益に追われることなく、将来を考えた戦略を考えていくべき時期が来た。早急に「昭和の町」のマネジメントシステムを構築していく必要があるというのである。そのマネジメントシステムの中に1店1店のマーチャンダイジングも含まれてくる。
せっかく楽しく盛り上がっているときに、「昭和の町」の永続と商店街の再生に向けて、意識改革を迫るのは商人たちにとっては少々酷かも知れない。「主役は商人たち」として、黒子に徹している商工会議所のコメントは、言葉にすると辛口だが、根底には商人たちへの信頼と期待があふれているように感じられた。
●ステップアップを目指して
当面の課題は、好評な案内人システムをどうするかである。ボランティアと熱意だけでは長続きしない。案内料金は無料だったが、今後は団体2000円程度の料金をもらうことも検討している。賃金を支払う仕組みにして案内役を増やす。あわせて、各店の紹介を商店主自らが行う無料案内システムも設ける。そうすると、案内人の手間が省け、お店のことを店主が語るということで店の意識も高まる。それにより店の新たな可能性も引き出されるかもしれない。みんなにゆとりができれば、バスの観光客だけでなく、個人客にも温かなおもてなしができる。半日はじっくりと楽しみたいという個人客には現在の21店ではやや物足りない。お客に満足してもらえる「昭和の町」として当面50店ぐらいの参画を目標にしているが、マネジメントシステムに沿ったガイドラインを決めて、参加する全員が意思統一を図っていくことを急ぐ必要がある。
●昭和の町から学ぶこと
「昭和の町」には取材でなく、ぜひまた遊びに行きたい。そう思わせる町だった。
学んだことは数多くある。
□マイナス要因を並びたてても前進しない。後ろを振り返ることからもプラスの要因は生まれてくる。
□全体で考えてらちがあかなければ、一つずつ解決することにより先が見えてくる。まずスタートすること。
□商店街運営はマネジメントシステム的な発想をとりいれることが大切。
□元気な商店街づくりは商人の努力だけでなく、市民ボランティアや行政、商工会議所の熱意に支えられている。
□絶対にあきらめるな。
OFSIでは写真も多く使いましたが、次ページ以降で各店を紹介していきます。これから先は、活字になったものではありません。私が見たまま、聞いたままをちょっとご紹介したく、「豊後高田商店街大好き!!」という応援ページです。
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