ホーム  豊後高田商店街紹介ページへ 私的商店街紹介目次
以下の内容は、豊後高田商店街を訪ねて見聞きした個人的な感想です。 

私的商店街紹介・豊後高田「昭和の町」6

大分県豊後高田市

 

 第2号館 千嶋茶舗 

 新町1丁目商店街 
 
 
 中央通りは昭和の町でも老舗が多い通りだったが、ここから庶民的な新町通りへ。

 新町1丁目商店街は、110m程の中に18の建物(うち昭和30年代以前の建物は11)があり、店は13、住居が1、空き店舗が5という構成(2003年3月現在)。跡取りがいなかったり、やめてしまったり、ということで空き店舗ができたが、建物はほとんどが漆喰の建物で、昭和の風情を色濃く残している。昭和の町が盛り上がってくれば、空き店舗はやがて埋まるかもしれない。
 昭和8年につくられた現・大分銀行高田支店の建物と、昭和36年の中津信用金庫の建物が相対していて、銀行建築の新旧の対比を見ることができる。天井が高く、大理石のカウンター、半月状の高い窓など見所が多いらしいが、訪問した日は土曜日だったため、銀行は休みだった。
 どの通りの店も、店看板がついているパナペット部分をとれば昔の風情が浮かび上がるそうだ。

 東京では丸ビルや六本木、自由が丘の町づくりなどが話題になるが、ああした場所はテレビで見ていて、なるほどと思えるだけなのだが、この町には「行ってみたい」と思わせるものがある。
懐かしさとか昔ながらの人情などにひきつけられるのかもしれない。現に、このとき同行することになった春日井市から来た男性も、テレビで見て、休みをとってここへ旅するのを楽しみにやってきたということだったもの。

 

■第2号館 千嶋茶舗
 建築年代/大正11年
 建築年代/大正時代
 一店一宝/貨車借り切りの特大茶箱
 一店一品/茶袋も昭和の玄米茶

 大正11年(1922年)創業した店。昭和の町は看板を昭和らしく変えた店が多いが、ここだけは大正の木の看板をそのまま掲げている。昔ながらのお茶屋さん。お宝は大きな茶箱と茶筒。大正5年(1916年)から昭和40年(1965年)まで鉄道が通っていたころは主に宇治茶を扱っていて、1年分を仕入れ、1貨車を貸し切って京都宇治から運んだという。
 ここの1店1宝は玄米茶。昔、紙袋で販売していたのを再現した。現在は知覧(鹿児島県)と佐賀の玄米をブレンドして1本300円で売っている。冷水から80度まで自由自在に入れられるお茶で、お土産にはオススメ。ほかにも昔懐かしい茶香炉などもある。
 藤原さんによると、この店に昔店主のおじいちゃんがいて、「寄っていかんかね〜」と言って町行く人を呼び止めて座らせ、話をしながらお茶を入れ、のんびりとした時を過ごしたそう。息子さんは病院の院長になってしまったので、おじいちゃんは次男の孫に代を譲り、いまはお嫁さんが切り盛りしている。

 一品の玄米茶を手にする藤原さん

茶箱は昔衣装箱に活用したなぁ
 

●長田商店〜松田履き物店

 長田商店は昔荘園だったところなのだろうか。荘園米、荘園そばなどの土産品があった。荘園領主になると田植え体験もできるそうだ。田んぼで作られたそばが販売され、そば粉もとてもおいしい人気商品。ぶんご合鴨米などもあった。ペットボトルにお米が入っているのっておもしろい。
 向いの松田履き物店は昭和30年そのもの。パナペット(1階と2階を仕切っている白い部分)を取り払うと全部使えそうな家だが、前の戸がおもしろく、レールが1本しかないとか。どこかで戸を外さないと戸が開かない仕組み。「でも、観光客のお客様に外し方は教えられません。泥棒が入りますから」との藤原さんの説明で大笑い。
 この建物は昭和8年(1933年)、野村さんという人が個人で建てた旧野村銀行。旧高田銀行と野村銀行は宿命のライバル銀行といわれたくらい勢力があった。土地持ちだったが、農地改革で土地を売ってしまったとサラリと説明があった。うーん、その間にいろいろなドラマがあったのだろうなぁ。
 その後に見た大きな建物も元は酒蔵として建てたがいまはアパートになっているとか、由緒のあるものばかり。だが、昭和の町をより発展させていくために、こうした建物も変わっていくかもしれない。


私的商店街紹介・豊後高田「昭和の町」7 次ページへ