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以下の内容は、豊後高田商店街を訪ねて見聞きした個人的な感想です。 

私的商店街紹介・豊後高田「昭和の町」8

大分県豊後高田市

 

第5号館 二代目餅屋清末 杵や〜第4号館 生鮮自由市場〜6号館 森川豊国堂
繁盛店の招き猫
も見てください。

 
■5号館 二代目餅屋清末 杵や
 創業年代/昭和38年
 建築年代/昭和25年
 一店一宝/餅は餅屋の餅つき機
 一店一品/餅は餅屋の石垣餅

 

 元は靴屋さんがあったのだが、昭和の町をつくるときに、2代目が戻ってきて餅屋を開いた。昭和38年から61年までお父さんが餅をついていたそうだが、現在は2代目の清末浩一さんが後を引き継ぎ、豆大福などを販売している。毎朝つきたてで作った餅だから、おいしさ保証付き。

 藤原さんによれば、「研究熱心な方で、お米、餅、小豆にこだわっていろいろなものを作っている」。

 清末さん(右の写真)は某都市銀行(聞けば私のメインバンクだった)に勤務し、素子夫人はブティックの店長をしていたそうだ。お店がしゃれているのもそのせいだろうか。

 餅米をベースにした臼がお宝。ポストのある側は喫茶スペースになっていて、昔ながらのおもちゃを飾っている棚もあった。こういうのって、とっておけばお宝になるのだなぁ。

 ここにも招き猫が飾られていた。この豊後高田商店街には招き猫がたくさんいて、「繁盛店の招き猫」ウォッチングも十分楽しめた。

 そうそう、店の前のポストは現役で活躍している。

 豆大福、月見だんご、胡麻もち、苺大福、おはぎ、うぐいすもちなど、おいしそうな菓子が並ぶ。

店の奥はゆったりしたスペース

 右側は喫茶ルーム

 お宝風なものを発見

■4号館 生鮮自由市場
 創業年代/昭和38年
 建築年代/昭和60年代
 一店一宝/生鮮産物の行商リヤカー
 一店一品/おふくろの味の田舎味噌

 説明書によれば、<昔は豊後牛のお肉屋さんで、今はお肉・お魚・青果など、生鮮産物がすべてこの店でまかなえる市民の市場です。2代店主、金岡孝さんのお宝は、お母さんの美奈子さん。お肉屋さんを構える前に、行商の苦労も経験した初代おかみにあやかって、一店一宝は「生鮮産物の行商リヤカー」、一店一品は「おふくろの味の田舎味噌」>。町の中にある小売市場として頑張ってきた。お母さんがお宝だなんていいじゃないですか。まるで、おしんの世界です。現在も近郊でとれた野菜などを販売していて、地元客もよく来る所になっていす。近在の苺がとても甘いそうだから、冬の時期に訪ねたら、苺を買って食べるといいかも……。


■6号館 森川豊国堂

 
創業年代/大正8年
 建築年代/大正8年
 一店一宝/夏は「アイスキャンデーの行商自転車」、夏が過ぎたら「和菓子の配達自転車」
 一店一品 夏は「アイスキャンデーとミルクセーキ」夏が過ぎたら「とら巻きやおとし焼き(ふくべぇ)」

 表に昭和37年の価格表があった。アイスキャンデー10円、5円だって。ミルクセーキが一番高くて35円。昔からアイスキャンデーや食べるミルクセーキを販売していた。チリンチリンと鐘の音を鳴らしながら自転車アイスキャンデーを売り歩き、ここのアイスキャンデーを食べないと高田の夏は始まらないとさえ言われたそうだ。昔からの伝統を守りながら今も作っているから、ここにはぜひ立ち寄る必要がありそうだ。要チェックのお店。ミルクセーキは夏の一店一品だが、年中作っている。中には、メガネ菓子というのもあった。

 店主の森川克己さんは昭和の町のまとめ役として立ち上げたときの中心的な存在である。
【森川克己さんの話】

 最初は4人でいろいろ試行錯誤しました。豊後高田の町がにぎやかだった昭和30年代を再現しようということでようやくみんなの意見が合ったのです。あとは時代にたまたま乗ったという感じですね。

 昭和の町の計画は5年前くらいにたて、一昨年(2000年)からいろいろな事業を始めました。役所に補助金に詳しい人がいて、なんとか助成が得られそうだとわかり、それにより市長がゴーサインを出してくれたのです。豊後高田市の総合10か年計画に「レトロな町づくり」に入れてくれて、行政も動いてくれました。だから、10年は動くだろうと思いますよ。

 これから合併問題などもあると思いますが、あまり観光地化されるのもちょっと心配ですね。国東半島の最後に残されたやすらぎの地としてみなさんに提供できればいいと考えています。地元のお客さんへのPRも含め、まだ悪戦苦闘しているところです。観光客がどんどんふくれあがったとしても、この町がもちません。
 
 私たちはふつうに後継者がいて、日々のご飯が食べられ、なんとかこの町で生活できればよいのです。この町は昭和の町というテーマパークではなく、現実にこうやって生活をしています。のんびりと維持していけば50年、100年はだいじょうぶかと思っています。方向を誤って変な町にだけはしたくない。私たちも数十年は現役でこの町にいると思うので、それまでは昭和の町とはこういう町だったのだといことを再現し続けて次の世代に渡したい。町に来てくれた人たちに、本当に隣の人という気やすい感じでお客さんに接することができればいいと思っています。


●中野鮮魚店

 食品店の取材だと陳列を見たいので、人がいないのを見計らって写すことが多い(左)。でも、絵になるのは、お店の人やお客がいる写真(右)。ご主人が手を振ってくれて、奥さんがお客さんと話をしていて、その風景だけで気持ちがなごむ。自家製の干物を洗濯ばさみで干しているのが笑えます。


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