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(財)食流機構の機関誌「OFSI2002年8月号」に掲載した原稿です。写真はOFSIとは別のものを使い、さらに増やしているので、写真説明等は違っています。 

シリーズ:ブランドを守る  
夕張メロン

   夕張は炭坑の町として栄えた。しかし、炭坑が閉山になって新たな産業を模索したときに、町を過疎化の危機から救ったのが、それまで細々と続いてきた農業だった。大多数の人が北海道といえば、大地の果てまで牧草地や畑が広がっている風景を思い浮かべることだろう。だが、夕張市は、7万6336haある面積の93.0%が森林という山間地帯である。ここに1960年には11万6908人が生活していた。現在の人口は1万4880人、農業に従事するのは1083人だが、232戸のうち、170戸が夕張メロンを生産している。炭坑から夕張メロンの町へ。「ブランドを守るという意識はなく、いまできうることを精一杯しているだけなんですよ」。JA夕張市の高橋篤営農部長は、謙遜ぎみに語るが、実際のところはどうなのだろうか。

 

山間地。JAの建物の隣に選果場(右手)がある。

  
 ●高収益な栽培を目指す

 
 夕張市では山間地であるため、限られた農地を有効に、しかも高収益を目指す必要があった。そこで着目したのがメロンである。大正時代からスパイシー・カンタロープというメロンが作られていたが、1960年に通称マスクメロンといわれるアールス・フェボリット種と交配して、夕張キングメロン(夕張メロンの品種名)が作られた。赤肉で甘さ、香り、舌ざわりともに優れ、ネットがあるメロン。これが両者のよさをあわせもつ期待の品種だった。

 同じ年に発足した夕張メロン組合は17人で、生産量は12トン、生産高は83万円。1995年には45億円とピークを記録したが、現在では生産量5000トン強、30億円程度で推移している。

夕張メロンがここまで伸びてきたのは、昭和50年代(1975年〜)に宅配便が普及してきてフットワークが特定商品として力を入れたことが大きい。ダイエーや札幌市民生協などとの取引も始まり、北海道では一村一品のはしりのような存在になった。
 JA夕張市の敷地にはJAの建物(写真)と選果場、加工品販売施設があった

 JAとしても毎年標語の違うポスターを作ってイベント会場で試食販売をし、ミスメロンをデパートへ派遣して、普及に努めたという。

 いまや北海道を代表する夏の果物になり、夕張市の重要な基幹産業になった。どんなに味のよいものを生産しても単価がやや頭打ちになっているため、売上高が伸びないというジレンマはあるが、これはどの産地も抱えている悩みといってよいだろう。現状では、メロンに替わる高収益作物が見つかっておらず、JA夕張市としても品種改良などを研究しながらも、現在の確立されたブランドを維持することに尽力している。

敷地入り口にあるメロンドーム。1994年にオープンし、加工品を販売している。夕張市にはほかに「メロン城」や「石炭博物館」などの観光施設がある

加工品はブランデー、ワイン、菓子、ゼリーなど多種多彩。店内では夕張メロンのソフトクリームも味わえて夏には観光客で賑わう。JAの加工は一次加工だけで、二次加工は1社1アイテムに決めている 


 ●生産者が検査員

 選果場では、市場へ出荷する荷や大手スーパーから注文が入った2個入り贈答セットを作っている真っ最中であった。

 生産者を回ってきたトラックが着くと、荷台からベルトコンベアーで次々と選果場へ運ばれていく。生産者が申告している重量は、入り口の重量計でチェックされ、検査員のいるほうへと流れていく。ベルトコンベアーの中央付近に検査員がいて、ネットや果色、大きさ、形などを判断していく。生産者が「秀」だと思ってランク付けしたものが、この段階で「優」に落とされることも度々だ。

 中から1玉取りだして指ではじいて音をきく。熟しすぎて水分が多くなると、ボールに水が入ったような音になるのだそうだ。逆に若もぎしたものは、硬い音がする。

 共選の規格は「特秀」「秀」「優」「良」と4段階で、最高級ランクの「特秀」ともなれば、糖度は13%以上、重量は1.5〜1.8kg、ネットは90%完全なもの、果色は緑〜灰色、特秀としての品位があり、玉揃いがよいなど、かなり厳しい条件になる。だから、1日2万ケースも扱っていても、特秀は本当にごくわずかで、これらは超高級品を求める料亭などに直送される。最高にはならなくとも生産者は「秀」か「優」を取得しようと栽培に努めている。
 ここでは生産者による生産者のための選果が行われている。約40人の検査員はみな生産者である。JAの職員が行うと、生産者からランク分けの不満が出てはいけないという理由から、メロンの特質を熟知している生産者が担当している。

「数多くのメロンを見ることによって、メロンの目利きがさらに磨かれる。検査員も責任検査員、検査補助員など熟練度に応じて違ってきます。ここでは他産地に見られるような光センサーは導入していません。機械は1個1個を見ていきますが、ここでは5〜6個入りの1箱を一度に評価できる。検査が終わると晴れて夕張メロンになるのです」(高橋部長)。

 「良」までに入らなかったものはすべて加工原料に回る。だからといって、原料仕向としてのお金は生産者には入らない。むしろ罰金が課せられるという。
高橋篤営農部長

 JAが50%出資している第三セクターの加工施設で果肉を果汁にする一次加工を行い、二次加工する菓子メーカーやワインメーカーなどに販売している。メロンブランデー、ワイン、ゼリーなど種類はいろいろだが、果汁原料を販売するについては1社1アイテムと取り決めているそうだ。多いときには1200トン搾ったこともあるが、現在は約300トンを加工している。

 生産者にとってはたとえ収入にはならなくともJAが加工向けとして処理してくれれば安心して生産でき、JAにとっても加工品の取り扱いが広がれば夏の時期だけの夕張メロンが年間を通じても販売され、より知名度があがるという相乗効果になっている。生産者にとっては「大船に乗った安心感」があるのではないだろうか。JAのとっている路線自体がブランドの維持に大いに貢献している。
 生産者が安心して栽培できる環境づくりにより、後継者も育ってきている。

選果場は大忙し。生産者のところから集荷してきたトラックが選果場へつけられ、レールでメロン箱が運ばれる。生産者が申告はしているが、入り口のところで、重量が自動的に出る

レールで品物が流れていき、中央で品物を検査する。これらを担当するのは生産者約40人。ネットや色具合、中の1個をはじいたりして熟度を瞬時に判断する。品質を保つために検査は厳しい

検査からはじかれたものを切ると、過熟であったり、未熟であったり、いろいろ。これらはJAの一次加工にまわるが、生産者はむしろ罰金をとられる。生産者の直売も禁じている

午後4時に関西、九州向けの便が出発する。そこで、一休み。その後、東京など、関西以東の出荷作業になる。スーパーなどの中元贈答需要があり、この期間の学生アルバイトはJA敷地内にある宿泊施設に泊まり込みで仕事をする

等級は特秀、秀、優、良の4段階。最盛期は1日2万ケースが選果場から出荷されていく。特秀は全体の2%ほどだが、ネット、形、色ともに素晴らしい内容。これらは市場を通さずに料亭などへ行くそうだ

検査に来ていた生産者の親子。小売店と同じで、元気な生産地では後継者も育っている。他の生産者が作ったメロンを見ることも勉強になるという。種はJAが金庫に管理し、生産者に毎年販売している

各航空会社のコンテナに次々と積み込まれていく。初荷は毎年1箱(2玉)30万円前後のご祝儀価格がついて、全国ニュースでも取り上げられるほどだが、最盛期には庶民にも買いやすい価格になる。それでも北海道のどこの産地よりも高い価格がついている

東京青果(株)向けのコンテナ。初めて東京の卸売市場へもっていったときには、評価が低かった。品質を維持するのにも苦労し、空輸に行き着いた。卸売会社も味のよさを認めて、普及に協力してくれた。


  
 ●JAが商標もF1種子も管理

 だが、安穏とはしていられない。名声が行き渡るようになると、赤肉系のキング系メロンが各地から出てくるようになった。様々な名称をつけているが、夕張メロンほどの知名度はない。実際のところ、「作りづらい、日持ちしない、売りづらい」品種ではあるが、種自体はどこでも作れるのだそうだ。だが、JA夕張市では優良な品種を限定したうえで一代限り(F1)の種を管理し、それを組合員に販売している。均等な品質の生産を目指しているからである。JAの一室に鍵のかかる部屋の中に、種の保管庫が3台ある。1袋は1万円強、「これが300万円を生み出してくれるんですよ」と高橋部長が種の袋を見せてくれた。

 これらの袋を生産者は他に販売することはできない。一般に、原種は種苗メーカーに左右されることが多いが、JAでは自ら原種を管理することで、安定的な販売が可能になっている。

 農協一元出荷を申し合わせし、生産者の庭先販売も禁じている。値崩れや品質の落ちるメロンを販売して評判を落とさないための厳しい処置である。何かにつけて「〜とする」という取り決めが多いが、それを生産者がしっかりと守っていくことが品質の維持、ひいてはブランドを守ることにもつながるのである。メロンの台木、交配するミツバチなども定めていて、なんとメロン蜂蜜までもJA敷地内のメロンドームで販売されている。

 もともと北海道の酪農家組織からスタートした雪印乳業などの最近の取り組みなどを見るにつけても、発足当時の生産者の情熱を忘れてはならないと思い知らされる。そして現在までも、夕張メロンを作る生産者たちを支えているのは、「自分たちにはこれしかない」「味のよいものを作っていれば必ず認めてもらえる」という思いである。熱い思いというよりは、冷静に分析したうえでの判断といえるだろう。

 「夕張メロン」というブランドを守るためにJAではこれまで約140ほどの商標登録を取得してきた。それにかかった費用は数千万円にも達し、裁判も2度行っていずれも勝訴を勝ち取った。商品登録は、商品が守られるための手段であると考え、「夕張メロン」という商標を脅かす行為、業者に対しては断固として厳しい対応をとってきた。シールや箱も規制してきた。こうした努力により消費者に信頼のおけるブランドとして認知されるようになったのである。確かに、他産地にもうまいメロンはあるだろう。だが、夕張メロンは下のレベルをより高く引き上げて標準化しようと努力してきた。これが大きな違いといえる。

 ●空輸で全国へ

 地方の名産を目指すか。全国へ、それも東京へうって出るかは、大きな課題になる。1970年、東京に初出荷した。

 天は二物を与えず、というが、夕張メロンの欠点といえるのが日持ちがよくないことだった。そこで、容器や運送方法などを工夫したが、どれも高品質が維持できない。そこで、1971年には空輸を採用した。予冷して航空コンテナに入れて運ぶのである。1コンテナに100箱入り、行き先向け航空機の出発時間に合わせてトラックが輸送を開始する。

 このコンテナ空輸方式は現在まで続いている。全量では約5000トン、このうち道内は3880トン、残りが道外への市場出荷と直送分にあてられている。

 

 東京市場でも当初は販売に苦労したという。当時を知る東京青果(株)元果実部長の鈴木誠一氏は「赤肉メロンの評価は低く、仲卸も小売店もあまり相手にしてくれませんでした。それでも味がよかったので、試食やサンプル提供などで地道に広げていったという記憶があります。

 農協でも東京進出を生き残り策と考え、3年ぐらいはかなり苦労しながら出荷を続けたという話も聞いています。私の市場人生の仲でも特に思い出深い産地ですね。いまは農協合併や組織の大型化が進んでいますが、良い人間関係を築くことが大事だと思います。商品を通じて人と人のふれあいができたことが夕張メロンを伸ばしたのでしょう」と懐かしむ。
 
 林フルーツなど味を重視する高級果物専門店も、名より実をとって夕張という振興産地を応援し、育ててくれた。

JA夕張市では当初より販売を支えてくれた市場、小売店、果物専門店などに感謝の気持ちを持ち続けている

 評判がよくなれば、単価も上がり、流通経費の高さも吸収できるようになる。スーパーや生協との産直、ふるさと便や宅配なども手がけるようになったが、現在も55%を占める市場出荷には最も力を入れている。

「市場に信頼される産地になることが大切。市場外においてより高い評価を得るためにも市場価格は必要であると考えています」(高橋部長) 
 
 ●苦情には迅速に対応
 
 小売店では苦情への対応のよさが固定客をつかむといわれている。夕張メロンもまさにそれを実践している。お客は道外の小売店で購入したものでも、産地に対して直接苦情の電話をかけてくる。そのようなときには丁重に話を聞いて、「こちらから送るので食べてほしい」と申し出るのだそうだ。

 

 これも宣伝費の一つといえるが、宣伝といえば、広告宣伝費は数千万円かけている。24時間テレビや夕張市内で開催されるサッカーにメロンを提供している。また、ポスターについても毎年標語が違うイメージポスターを製作し、メッセージのコピーを印象づけるようなものを工夫している。
 いまどきの味美人
 北の感動味
 色あざやかにおいしさの証明

 等々、味についての訴求が多いが、本年は「お好きなだけどうぞ」というコピーのポスターでアピールした。

 中元のギフト需要が8割であり、買う人と食べる人が違うということが他の果物と違う点である。したがって、味と品質には細心の注意を払ってシーズンを乗り切ることにしている。

 例年5月15日を初荷と決めているが、この日は休市だったため、5月14日に札幌市場のセリが行われ、札幌三越と丸井今井が1箱2玉で30万円という高値で取引された。夕張メロンの初荷は全国ニュースでも話題になるほど。ブランドを守る、というのは、産地として当たり前のことをしていたら、結果がついてきたということだろうか。 (文・川島佐登子  取材2002年7月)

 

【取材を終えて】
 取材に行ったのは7月、夕張メロンの最盛期でした。降り立った千歳空港でも夕張メロンが特等席の売場にありました。日頃取材に行っても、その食べ物をあてにするということはないのですが(コレ、本当。仕事で行くとお土産もあまり買わないし、観光もしません)、この日ばかりは「夕張メロン、出るかなぁ」などと同行した食流機構の杉本さんとチョッピリ期待してしまいました。山間地なので、北海道の広大なイメージとは違っていて逆にビックリしました。これは訪れた人誰もが抱く感想だそうです。

 夕張市に入ると、なんと救急車までも夕張メロンのマークがついていて、楽しくなってしまいました。

 石炭から夕張メロンの町へ。ひとことで言っても、メロンの産地は静岡の温室メロンを筆頭に全国に数多くあります。その中でこれだけの地位を獲得し、維持し続けているということは並大抵のことではありません。その秘密を種の管理に見たような思いがしました。

 実はこの原稿は9月号に掲載予定でした。ところが、取材に行ったときにNHKの「プロジェクトX」で9月10日(2002年)に夕張メロンが取り上げられることを聞き、急遽8月号にしました。プロジェクトXは昔に遡って苦労した人々を取り上げ、感動のドラマに仕上げていましたが、私としては、それなりによい取材ができて満足です。
特許庁のホームページで、商標登録を調べると「夕張メロン」関連の商標を100件以上も取得していて、JAの熱意に頭が下がる思いがしました。かなり有名な産地でもブランドを商標登録しているところは生鮮食料品では少ないからです。
 
 話は違いますが、ある日どこかで見た記事があるなぁと思ったら、産地関係の機関誌に私の原稿が丸パクリされていました。夕張メロンに関するレポートで、ほぼ3分の2が全く同じ内容なのに「食流機構8月号より転載」とか、参考資料という断り書きがありません。いかにもその人が書いたような原稿になっています。これはさすがに腹にすえかねて食流機構から注意をしてもらいました。北海道まで旅費をかけ、素晴らしい内容をできるだけ伝えたいと書いたもので、お金も人手もかかっているのに・・・ヒドイ!!。原稿を書く人は最低のモラルは守ってほしいものです。(2003.10.29)