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江澤正平先生の話
皆さんこんにちは。
八百屋塾とはどういうことを学ぶ場所なのかを先にお話しします。
八百屋さんは今、物品販売業となっています。これではいけません。まず大事な目標として食べ物屋になる必要があります。これはどういうことかというと、物品販売業というのは単にものを売るだけのものです。味や安全、栄養などということは、購入する客が考えれば良いという事ではなく、食べ物屋というのは味や安全、栄養、食べ方などはもちろん食ということを顧客に伝えていく販売というものを考えていかないと、今後の八百屋さんはやっていけないと思います。
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それでは、どういう商売の考え方があるかといえば、ます、利益を考えますが、儲けるということと儲かるという二つの道がありますが、儲けるというのは自分が先であって、儲かるというのは、お客に役に立ち、結果として儲かるということになります。ただ、漫然と商売をしていても、儲けることは出来ても、儲かるということにつながりません。祖のためには、野菜などの食品に対する知識や加工する技術を持っていないと顧客の役にたたないし満足してもらえない、結果として儲からないということになります。顧客は食べるために買いに来るわけです。言い換えれば、専業店から専門店になるということです。 |
そのためには勉強をしていかなければなりません。専門店としてやっていくにはここまで勉強すればよいという到達点はありません。ですから、継続して八百屋塾に参加をして知識を増やしていただきたい。
それでは、顧客と八百屋の関係はどのようになっているか考えてみましょう。重要なのは信頼関係です。儲けという字を分けると信と者と云う組み合わせになります。顧客を信者にすることで儲けにつながっていきます。顧客からの信用を得るにはうそをつかないということです。ある電気メーカーでは、14年前の製品についても不良品対策として億単位のお金を使って、修理、回収、告知を行いました。こうしたことが自社製品に責任を持つ姿勢として信頼を勝ち取っていくわけです。
人間ですから、間違ったりやり損なったりすることはあるわけですが、それを誤魔化したりしないことが大切です。先日の政治政党のように、最初から誤魔化してしまおうという姿勢では駄目です。間違ったとき間違いをはっきりと認めて行かないと信用は出来ません。顧客に買ってもらうためには、物と金銭とうい考え方ではなくて、人間と人間の関係を築いていく必要があります。例えば、ホウレンソウ一把しか購入しなくても関係ありません。商売は厳しいところもありますが、それを柔らかく包んで、対応していくことです。ます、八百屋側から顧客を信用しない限り、顧客は店を信用してくれません。
皆さんは、もう八百屋をやっているので経験もあるので、あまり細かいことを云っても仕方がありませんが、基本的な事柄はやはり知っておいていただきたいと思います。
小売商はどこの市場でも約3/1くらいになってきています。なぜかといえば、一つは八百屋に従事する人の老齢化です。そして、スーパーマーケットが1970年くらいから本格的に進出してきたことがあります。セルフサービスという形態は当初は消費者には受け入れられなかったのですが、1975年くらいになるとセルフサービスという形態にも消費者は慣れてきました。ワンストップショッピングですから、いろんなジャンルの物が買えます。忙しくなってきた主婦が簡単にいろいろな物が買えるのは魅力的な訳です。ですからスーパーマーケットがもてはやされます。スーパーは年間計画をたて、計画の単位は週単位になっています。データをもとにして随分先の特売なども計画します。購入先も産地から購入するか、荷受から購入するか効率的な購入を考えます。販売も効率を第一に考えます。
それに対して八百屋は対面販売です。対面販売は八百屋にとって武器になるはずです。今、社会で求められているのは、情報の双方向性です。対話販売、対面販売こそがこの双方向性そのものです。人間が目の前にいて、品物が目の前にあって、それで話をするわけですから非常に強力です。しかし、この武器をいままであまり使ってきませんでした。これを使うには、知識と技術を持っていなければ出来ません。店先だけではなく、家全体が食べ物を扱うという感覚でいかなければ駄目です。扱っている野菜・果物も気候の関係でいつも同じというわけではありません。このような物を販売しているわけですから、このような差異を顧客に説明していく能力を持つ必要があります。残念ながら今までは、このような差異を区別する努力や、自分で味見をして確認するというような事を怠っていました。
ここにいる皆さんは、少なくとも自店で販売している物は食べて見てください。その上でわからないことがあったら質問したりするくらいのことはしないと意味がありません。
スーパーは、残念ながら販売する物を食べてはいません。スーパーはなかなか販売するシステムを変えることが難しいです。スーパーだけではなく、卸売会社や生産者にも問題はあります。三つ葉やウド、フキなどと山菜を除きほとんどが気候風土の異なる外国から入ってきた野菜を日本で栽培し定着しました。この中から、長いこと飽きないで食べられる物が美味しいと残ってきました。これが伝統野菜や地方野菜と云われる物になりました。戦後、高度経済成長期になってきたときに、いままで戦争のために作っていた物や技術が民生用に降りてきました。肥料や農薬などに転用され、石油製品からはビニールなどが作られ始め、農業資材が良くなってきました。種苗屋さんも色々交配する技術も確立されました。今までのものはどうしても栽培しにくかったり、病害虫に弱かったり、揃いが悪かったりして生産性、流通性が良くありませんでした。
都市が発展すると野菜が不足するようになりました。そうすると収量が上がり、作りやすく病害虫に強いとかの生産性のみが注目されるようになり、食べ物としての感覚がだんだん少なくなりました。その結果、野菜があまり美味しくなくなってきました。
米の場合には、取れすぎて減反ということになったのが1971年からですから、おいしい米を作らないと売れないということになりました。
野菜は、気象条件によって豊凶の差が大きく、余るという感覚が余りありません。1960年くらいから人口が大都市に集中する現象が見られるようになりました。食べる物が多くなり輸入も多くなってくると、1980年くらいになると飽食の時代といわれ、食べ物が余ってくるようになって来ました。こういう状況でも野菜は、足りないときもあり、また余るときもあのですが、野菜を扱う人は豊凶の差をあまり感じませんでした。そうするともう少し美味しい物が欲しい、安全な物が欲しいと云う声があり、対応する野菜も作られましたが、特殊な野菜という事で、一般的にはなりませんでした。
伝統野菜も、京野菜などは1930年くらいからやっていました。後は加賀野菜とか長岡野菜とか色々な形で出て来ていますがまだ一般的にはなっていません。
全般的にみて野菜がまずくなって来ているのは事実です。野菜が美味しいか、美味しくないかで店の発展が決まると云っても良いでしょう。おいしい野菜、安全な野菜、栄養のある野菜というような情報を持たなくてはいけません。しかし、情報だけでは仕方がありません、品物と関連した生きた情報が大事です。Webサイトで良くこういった野菜を販売しています。消費者の考えている物と販売者の考えと合致しないものが多いので、どうしてもWeb販売の場合クレームが多いようです。
店舗を構えて対面で、しかも対話して現物を見せて販売している八百屋の場合はこういうことはほとんどありません。これからは八百屋さんの出番なのです。少し遅いくらいかもそれません。
こういうことを実現するためにも是非八百屋塾でいろいろなことを学んで、八百屋を変えていくと云うくらいの気持ちを持っていただきたい。
野菜というのは、いまお話したよう形です。食べ物ということを考えたことがありますか。人間が生きていく上で一番大切な物はなんでしょうか。酸素ですね。酸素がなければ呼吸が出来なくなり人間は生きては行けません。その次はなんでしょう。水です。人間の体の60%は水分です。体にはある程度エネルギーは持っていますから、じっとして水を補給すれば10日くらいは生きていけます。
後は食べ物です。食べ物は生き物です。生き物を食べています。生き物ではないミネラルなどもありますが、ミネラルは食べ物の中に入っているのです。生き物は人間が作れるかというと、人間が生き物を作ることは出来ません。農業で大根でもなんでもできるじゃないかと思われるでしょうが、大根は種子がないと出来ません。では種子は誰が作るのだと云えば大根自身が作るのです。ですから、人間が大根を植えて種を作らせ、その大根を育ててその大根を人間が食べているのです。これが農業です。
農業は食べ物を育てる事です無から有を生じさせるわけではありません。植物が太陽の光線と水、炭酸ガスで葉に受けて炭水化物(澱粉)のもとを作っています。それを、根や、幹、実に蓄えているわけです。それを人間が食べています。植物は独立栄養体なのです。他の動物も自分では食物を作っていません。植物によりかかって生きています。肉食獣でも草食の生き物を捕獲して食べています。
農業の発生は約15000年前です。我々の先人がずっと農業をしてきました。食べ物そのものが植物に依存して来たことを忘れてはいけません。
人間と野菜の関係はどうなのか、人間と野菜。果物を考えたとき、果物の場合には、花が咲いて実がなって種も出来てくると果物は美味しい。完熟した実を鳥や、動物、人間が食べて種を伝播してくれるから共存共栄の関係です。
野菜の場合は、花が咲いてから食べるものもありますが、大部分は花が咲かないうちに食べてしまいます。種子は当然花が咲く前に食べてしまうのでできません。このままでは絶滅してしまいます。そこで野菜は進化の過程で、防衛物質として野菜自身に持ちます。例えば刺や、あくや苦みなどです。これらがないと生きてはいけないのです。ジャガイモでは芽が毒になったりします。その頃のジャガイモは皮のふちにアルカロイドが出ています。わらびなどは発がん性の澱粉ですから、あくを出さないと食べられません。今、このように食べられるようになって来たのは、私たちの祖先がいろいろと試行錯誤して来た結果です。これは食文化といっても良いと思います。理屈ではなく経験に基づいて来たものです。こう云ったことを学んでいかなければなりません。
人間の子供は未成熟です。子供の味覚は甘い物しか分かりません。苦い物は体に良くない、酸っぱい物は腐敗していると、未成熟な体に良くない物を排除します。成長すると共に抵抗力が増えてきますから、何でも食べられるようになって来ます。
あくは皮膚炎をおこしやすくします。胃や腸の粘膜に炎症が起きても自覚症状がありません。ですから、抵抗力の弱い子供たちは本能的にあくのある野菜を避けるのです。ですから、食育といって、嫌がる物を無理に食べさせるのは良くありません。好き嫌いもありますが、こういう事も考える必要があります。
自分の店舗をどのようにしていけば良いかと考えたとき、消費者はどのように買い物を考えているのかということを知る必要があります。自分が買い物をするときのことを考えるとよくわかりますが、買い物はない物を買うということです。消費は楽しい行為です。消費者が楽しくなる店舗を考えてみましょう。対話販売が中心で、話が飛び交うという雰囲気が大切です。
最後にお金の話をします。良く若い人は、お金がないから仕事をしようとかいいます。いつもお金が先という発想です。では、お金が世の中でいつも先なのかというと、お金は人間が分業を合理的にするための約束事です。
お金は重要なものですが、それはあくまでお金であって、お金を増やしたいのであれば投機や金融市場など専門の場所でやればよいのです。青果組合の創設者で大先輩の大沢理事長は、「小売屋さんは自分の売るだけのものを買って、それを売るということを中心にしないとだめだよ」といっていました。
お金はあくまで従。仕事が主でなければいけません。売れないような物は役に立たないから売れないので、売れる物は役に立つから売れるのです。ただ、使い方を説明し、分かってもらえば売れるものもあります。皆さんが顧客に喜んでもらえる事が大切です。その喜んでもらえる有り難さを感じる商売をして欲しい。儲かった喜びは一時的なものです。喜んでもらえた喜びは続いていきます。自分のブランドで八百屋をやって欲しい。ブランドには責任があります。責任を持った商売がいかに大事かと云うことです。
また、責任を持った商売という物は社会に結びついています。お金で結びついているのではなく、仕事で、社会に役に立つという事で結びついているのです。これが社会人です。顧客に喜んでもらうためには、それだけの知識や技術が必要になります。また、知識や技術がなければ信用もしてもらえません。信用するということは能力がないとだめです。
人の役に立つことはうれしいことです。私も94歳。みなさんのおかげで生きていけます。役に立つためには野菜と果物に惚れなさい。これが大事です。
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