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2006年(平成18年) 10月15日 (日) 第7回
学習テーマ「ジャガイモ、里芋、リンゴ」

品種の誕生

東京青果(株)加藤宏一講師

 放送の仕事を通して得た知識や日頃感じていることをお話しさせていただきます。

はじめに

 わが国は21世紀に入っても物作り大国として生きていく以外に道がないということです。世界に冠たる新幹線や自動車等はその成果であるとされます。鉄道の車輪は世界で3社が大半を生産しているということで、日本にはそのうち1社があります。鉄道の高速化は車輪と強いレールが必要です。中国にはその強いレールと高速で走れる車輪を造る技術がありませんから、新幹線を導入するどころか在来線もスピード化は不可能です。JR東海の葛西会長は、中国に新幹線は売る必要がないと言い切っています。もっとも中国は上海―北京間はドイツかフランスの新幹線を入れるとされます。

 りんごの『ふじ』を始め、梨の『新高』『幸水』『豊水』等世界中で日本生まれの品種が栽培されています。実際、中国では品質の良い『ふじ』が何百万トンも生産されています。栽培技術的でもほとんど遜色ないレベルまで追いついてきています。この『ふじ』は新しいりんご品種の親としても貴重な存在になっています。この日本の優れた品種は誰のどんな動機で生み出されたのか、探ってみたいという気持ちをずっと持っていました。工業製品だけでなく、もっと野菜、果物に光を当てて欲しいと思っています。

梨の神様 菊池秋雄

 梨の神様ということで菊池秋雄はわが国の園芸学の歴史の中で、 すこぶる大きい存在です。初代の京都大学園芸学教室の教授に就任しています。この菊池秋雄は青森県の弘前市でりんご栽培の功労者である菊池楯衛の長男として生まれています。東京帝国大学を卒業(1908年/明治41年)後、東京府立園芸学校に勤務します。このとき交雑した実生を引越しのたびに任地に移植したとされます。次の職場神奈川県園芸試験場に勤務し、すぐに育種作業にとりかかり、1923年(大正12年)〜1926年(大正15年)に30株が命名され、その中に『新高』や『菊水』などがあった。その後鳥取高等農林の教授に就任し、『二十世紀』の黒斑病の克服のために汗を流します。この間育種した『菊水』は『幸水』等の親になります。今でも『菊水』は千葉の梨の直売所で売られていますが、日持ちが悪いので現在は市場に出荷されることはほとんどありません。菊池博士の業績は果樹園芸学を植木屋さんの指南書から学問のレベルまで引き上げました。

 その菊池氏の末のお子様(菊池卓郎氏)はかつて弘前大学農学部(京大卒業後37年に弘前大)の教授をしておられ、昭和40年代の教え子に東京青果りんご部の平山課長がいます。この9月に大田市場を見学したいということで京都から平山課長を訪ねてこられ、私も朝食を一緒に頂きながら、お父様菊池秋雄氏の話を伺いました。80歳前後ではないかとお見受けいたしましたが、英語も堪能で外国人のお客様を案内されました。「菊池秋雄は書物だけの研究でなく農業を実践して知っていたが、後に続いた小林章先生以降の先生は机の上の学問が中心になりました」と述べられていました。

松本清張の小説にも登場した興津試験場

 大正末から昭和初年に第1次世界大戦の時のバブルの後始末で緊縮財政が続きまして国は農業試験場の縮小を進めます。平成の御世でも小泉首相の代になって国は独立行政法人の研究機関に対し年々予算配分を縮小していますから、今はある意味で大正末頃の状況に似ています。このとき初代の興津園芸試験場の場長の熊谷八十三氏は自分が辞めることで部下の雇用を守り抜いたとされます。熊谷氏は試験場を辞した後、興津にあった西園寺公望公別荘である挫漁荘の執事に就任します。これは松本清張の晩年の小説「老公」に謎として描かれます。農水の技官として熊谷氏ほど英語に堪能であった人はいないと今でも語られます。

 わが国の園芸の研究機関で初期に活躍したのは恩田鉄哉博士で、この人の桜会の(興津試験場のOB会)の論文に出てきます。それを読みますと、1887年(明治20年)に東北各県を巡回したときは各県ともりんご栽培に情熱をもって取り組んでいたが、1897年(明治30年)に巡回したならば、岩手や宮城の遠地は荒れており、青森県しか元気な果樹園地が残っておらず、たった10年でこの激変にショックを受けたと書いています。これについて恩田は次のように分析しています。つまり、青森県では山の斜面にりんご園を開拓したことが、排水もよく成功したのではと。現実に今でも傾斜地の方が良い果実ができます。初期の頃に、りんご産業の恩人が現れ次々に良い方向に導きます。その一人が菊池秋雄の父である菊池楯衛、外崎嘉七(とのさきかしち)であると思います。外崎は開芯形という独特の剪定技術を考案します。

藤崎町での成功

 なぜ青森県の藤崎町でふじが生まれたかということです。明治30年代から要望された園芸の専門の国の研究機関がようやく1902年(明治35年)になって興津に園芸試験場が発足し研究の第一歩が記され、しかも農家後継者の教育もスタートし、切磋琢磨する風土が醸し出されました。1935年(昭和10年)になって戦時経済から国の財政にゆとりができ、また食糧増産の目的から研究機関の充実が実現され、東北支場を開設することになりました。このとき、東北各県から国の試験場の誘致合戦が始まりました。最終的に梶浦氏らは青森県の藤崎町に設置します。そのスタッフは新津宏氏(初代場長)などエースが派遣されたのです。設置してまもなくの交配でふじが育成されます。これは、青森の農家の協力が欠かせませんでした。様々なりんご(外国から導入品種)の花粉を提供してくれたのでした。色々な素材が揃っていたからこそ、交配が可能になりました。また青森には既にりんご試験場があって育種を始めていました。

ふじ

 国の試験場は1961年(昭和36年)に岩手県の盛岡市完全に移転してしまいます。今でも原木は盛岡の試験場に残っています。進駐軍が1949年(昭和24年)に黒石のりんご試験場と、国の東北支店がかぶっているということで、移転の命令を下します。10年位命令に従わず藤崎町に残ったことで『ふじ』を選抜できたとされます。さらに、当初は裂果が多く、着色不良も多かったので、研究者が栽培して日本全国でこのような結果が出ているということでは、残す残さないの検討をしたら落とされていたと当時育種した吉田義男さんは言っています。これはりんご農家のリーダーであった斉藤昌美さんのような、剪定等素晴らしい技を持った人が、『ふじ』が良いと頑張ったから今日の大品種に成長したと語っています。大品種はみんな農家が作りこなしたということです。青森県の場合、米が冷害に遭いやすく、りんごに賭ける気持ちが強かったと思います。

最初は補助品種であった『幸水』

 『幸水』が育成されたのも『幸水』と時を同じくいたします。早生『幸蔵』と『菊水』を交配したもので、いずれも戦中から戦後の混乱の時期に交配育種され、しかも選抜の過程で試験場の移転で木が分からなくなるような危機もありました。この品種は小玉で大きくならず、育種した先生が、補助品種であると昭和30年代発行の果樹園芸事典に書いてありました。『幸水』に逸早く目をつけたのが林フルーツで東京青果の社長に相談して、埼玉の常光の河野東一氏に栽培をお願いしたとされます。平塚の競輪場の近くの露天で販売されていたのに目をつけたという逸話が残っています。林フルーツの大発明は『幸水』をお尻を上向きにして綺麗に見せて販売したことにあると育成選抜した金戸橘夫氏は述べています。

 『幸水』の育成について実際に指揮をとったのが梶浦実氏です。1928年(昭和3年)に東京帝国大学の農学部を卒業し1929年(同4年)に農林省園芸試験場に入省し、その後果樹新興政策の中心として活躍します。この方のご子息はつくばの果樹試験場の場長の梶浦一郎氏です。

野菜の育種に貢献した熊澤三郎

 この昭和恐慌の採用の難しい梶浦氏と同じ1929年(昭和4年)に東京帝国大学農学部から熊沢三郎氏が国の農林省園芸試験場に採用されています(浜口内閣の緊縮財政で梶浦は残りましたが、熊澤の採用は取り消され、浪人生活を余儀なくされる)。熊澤は1年後(1930年/昭和5年)に大阪府農事試験場(県の研究機関としては他県に遅れて発足)に職を得て品種改良部の主任技師に就任します。前任者は岐阜高等農林の教授に転出。この人事には菊池秋雄の世話によるとされます。さらに熊澤の後任伊藤庄二郎は1938年(昭和13年)にトマトのF1福寿1号を送り出し、その後タキイ種苗に移って1950年(昭和25年)にキャベツと白菜のエフワン品種『長岡交配1号』を送り出しました。

 1933年(昭和8年)に台湾に園芸試験場が新設されることになり、実質的な試験場の指揮者として、熊澤が派遣されます。当時の野菜の研究機関では全国の品種の分類に始まって、ナスのF1の研究にようやく手がついたまだまだ黎明期でありました。(埼玉県の農事試験場で1924年/大正13年に世界初の野菜の一代雑種を育成)育種専門の研究が始まったのはさらに後の1943年(昭和18年)のことでしたから。それ以前は純系分離ということで、品種の選抜が繰り返し行われ品種が固定されました。大正時代から始まったこの純系の分離の仕事の完成した時にちょうど熊澤が大阪の試験場に採用されたことになります。新しく品種を育種するには系統のしっかりした野菜同士を交配させることが必要となりますから。大阪の試験場では1930年(昭和5年)にキュウリの『大仙節成1号』等。昭和7年にきゅうりの大仙毛馬節成を育成いたします。国内では前述したナス、スイカに次いで3番目のF1品種の誕生になりました。これは西南暖地に早出しで負けて衰退し始めた大阪のキュウリ産業を復興させた。F1の生産量をアップさせて単価のダウンをカバーしました。
 1938年(昭和13年)に台湾総督府は台湾農業義勇団を組織し、熊澤は団長として中国大陸で軍隊に野菜を供給することを目的に、台湾人の若者1000名を率いて上海近郊に農場を開設します。戦いは軍隊だけでなく、農業研究者も苦労を重ねます。1940年(昭和15年)にいったん目的を達成し、台湾に引き上げました。

  中国の『四葉きゅうり』の固定等で成果を上げます。中国大陸で品種の探索もします。

 特筆すべきは、その後1940年(昭和15年)本省の園芸特産課に勤務しますが、右翼政党の国内の果樹を全部切りなさいという命令に体を張って阻止します。

 戦後は久留米の試験場の開設にあたります。台湾の経験が生かされました。さらに出身地長崎県の試験場に迎えられます。園芸関係では梶浦法皇、熊澤天皇として畏敬されました。

反骨の品種『巨峰

 こういった国を中心に進められた育種と別なところで進められたのがブドウの『巨峰』です。東京農大を卒業した大井上康氏が戦中に完成させ、戦後すぐに発表しますが、国は栽培が難しいということで品種登録を見送っています。国の研究機関でブドウで価値ある品種を見出せない中で大粒の品種を発表しましたが、功績は大きいと思います。大井上は農大を卒業して一時茨城県に職を得ますが、すぐに辞めて伊豆で農家の師弟を集めて私塾を開きます。それが葡萄研究所の開設につながり、さらに1922年(大正11年)31歳でフランスに渡ってブドウの研究を進めます。暁星学園でフランス語と独語を流暢に話せたこともあって、フランス学士院会員に押される栄誉にも預かりました。

 中伊豆町(伊豆市)にその研究所はありますが、ちょうど中伊豆温泉病院の後ろの丘の上に今でも残っています。85歳の息子さんが大井上氏の園地と資料を守っていますが、碑に「何よりも確かものは事実である」と大井上氏の言葉が刻まれています。国に品種登録しても、栽培が難しいということで受理されませんでしたから。1953年(昭和28年)に60歳の若さで他界しますので、『巨峰』の今日の隆盛をみることができませんでした。言葉に無念の思いを感じます。しかし、米国のある農務長官が来日したとき、「日本から輸入するべきは巨峰の他に何もない」といった有名な話があります。

 弟子の恒屋棟助氏は、大井上の栄養周期説理論の普及に生涯をささげましたが、2003年(平成15年)に他界しています。八街の新興槇山のすいかは、栄養周期説理論で栽培されていますが、全国に信望者がいます。

イチゴの新品種について

 山梨にミヨシという種苗会社があって、栄養生殖の植物の花苗や種の販売で知られています。最近各県毎に品種が発表されていますから、品種特性について論じるのが難しくなってきています。県はお金(税金)を使っていますから、知事や研究員の名誉がかかってきます。他県が育種した品種は許諾料を開発した県に払わなければなりませんから。

 特に国が開発した品種は今のところ『さちのか』で止まっています。国は市場に出回る品種は県の研究機関に任せて、親の品種を育成することにした。ここ2〜3年は各県から有力品種が出て、仕入れの絞込みが大変です。それでも福岡の『あまおう』が1月まで人気が高く、以降は『とちおとめ』に仕入れを切り替えるといったことがあると思います。

 こうした二大品種にあって、佐賀の『さがほのか』も徐々に増えています。これは佐賀県がオープンにしたので、苗を買えばどの県でも作れます。愛知県が系統で始めました。『さがほのか』は、一旦佐賀県は欠点が多いということで、お蔵に入れます。この品種は作り方を間違わなければいけると踏んだのが三養基農協の指導員の人です。この人がまず技術レベルの高い人を選んで指導しながらここまで来て、ミヨシで成長点培養した苗を使うとかなり品質の良い『さがほのか』が出来上がると思っています。

 このミヨシは鳴門金時の苗も成長点培養して売っています。最近EMで有名な北浦みつば連合出荷組合でもこのミヨシの苗で、EM金時を個性で販売しています。EM菌のぼかし肥料を与えて栽培していますので、かなりレベルの高いさつまいもに仕上がっています。元々は『高系14号』ですから、『ベニアズマ』と一味違います。来年以降はますます品質が良くなってくるということです。今年も結構評判が良く、個性園芸の原という若いセリ人が販売していますので、よろしくお願い申し上げます。

 このミヨシから各県の品種の情報が色々入ってきますが、ミヨシの苗が入っている『さがほのか』はかなりレベルが高いということです。


江澤先生の話

味覚について

 今日は、味について簡単にお話しします。

  味は、甘い、塩辛い、酸っぱい、それから苦いというものがありますが、それだけではありません。そのほかに旨みというものがあります。旨みとはなんでしょうか。これは日本で生まれた味で、世界的にも認知された要素となりました。具体的には昆布などの味です。さらに最近では、感じ方というものが変わってきました。育ってきた環境などにより種々と変化します。それらはいわゆる文化というものだと思います。

 例えば、東京などいわゆる関東なら醤油味がベースといってもよいでしょう。関西なら塩味、中京地域は味噌味がベースとなります。当然、味覚に対する感覚は変わってきます。現在は、地域間の交流が激しいので以前ほどではありませんが、概ねそういう傾向はあると思います。これらは文化の味ということになります。

ナスはインドあたりが発祥地といわれています。日本へ渡ってくるまでに1500年以上かかっていますから、いろんな経路で渡ってきたと思われます。この間にナスそのものも変わってきます。長ナスなどは九州に定着しました。そこで焼きナスという食べ方が文化として出来上がりました。

 韓国経由で入ってきた丸ナスは、京都や北陸、上越地方ではまた異なった食べ方(文化)が出来上がりました。新潟県の長岡あたりではナスを焼いて食べたりはしません。蒸すという文化はあっても焼くという文化はありません。

 後は情報による味です。これは様々な情報による味の思い込みということです。他からの様々な情報により、この食べ物の味はこうだと感じてしまうということはあります。
それに、やめられない味というものもあります。これは何かというと糖分、それに油、出汁です。こういった物はやめられない味です。特に油は味としてはないのですが、脳の中枢に働きかけてきます。甘味と苦みと油分は特に働きが大きいようです。辛味と酸味は口腔粘膜へ働きかけてから脳へ来ますから、少し経路が違います。

  油分は、甘味、辛味、苦味、酸味に加えて五つの味にするという学者も出て来ています。これは私もなるほどと思います。油にもサラサラした油とネットリした油があります、ネットリした油は、大量に摂取するのは体によくありません。サラサラした油(魚の油や植物の油)はそうではないようです。摂取の割合は大体1対4くらいが良いと栄養関係の先生は言っています。現在の油の消費割合は、ネットリした油の消費量が圧倒的に多く、そのため種々な病気が出ています。これはやはり問題です。

  若い女性と話をする機会に「あなた野菜食べてる?」と聞くと「食べていません」。
「じゃあ健康はどうなの」と聞くと「野菜を食べていないから、サプリメントを飲んでしまう」といいます。サプリメントを飲んで調子がよけい悪くなるという状況になっています。野菜を食べるために、なるべく手のかからない調理方法などをいうのですが、調理方法からいくのはやはり駄目でした。必要なのは美味しさを強調するのが重要だと思いました。美味しい物を食べるのにはこれだけのことをしなさいと言うアプローチが必要です。美味しさを理解させるにはやはり食べさせなければ仕方ありません。ですから八百屋さんが、積極的に試食をしたりして、美味しい食べ方を提案していかなければなりません。それが対面販売をする八百屋の強みです。


東海林講師の話
食べ比べの品目について

 
   
ジャガイモ  
1)JA今金「男爵」
原名アイリッシュ・コブラー。作付面積が最も多<、ポピュラーな品種。粉質だが水分が多く、吸油性が高いのでフライより煮物に向く。休眠が長いために貯蔵性は良い。1600円 一番のブランドです。
2)JAようてい「北あかり」
肉質は粉質、カロチン、ビタミンCが多くヘルシー。デンプン価は15〜17%で高い。色は黄色。 1300円
3)JA芽室「とうや」
大粒で空洞がな<、ビタミンC含有量は男爵・メークインより高い。1500円
4)JA芽室 「メークイン」
デンプン価は低いが、粘りと甘さを持ち、味が良い。病害に弱く、作付面積は少なめだが人気がある。煮崩れせず、糖分が多いので、煮物によ<、フライは不向き。メークインといえばこのブランドです。1700円
5)味自慢グループ「レッドムーン」
赤皮・黄肉で芽が浅い。肉質はやや粘質。1000円
6)ベジネット「インカのめざめ」
北海道服試育成。原産地のアンデス地域で高値で取引されている小粒種とアメリカの品種の交配から作られた。イモは濃い黄色で栗の風味がある。 2500円
 
里芋  
1)JAいるま野狭山「蓮葉」
小型で球形、粘りがありコシもある。5000円
2)JAいるま野狭山「土垂」
関東で良く作られている品種やや長い形で独特のぬめりがある。5000円
3)宇摩郡「女早生」
大正時代から宇摩地方だけで栽培。地元では団子とと呼ばれもっちりとした食感。3000円
4)JAテラル越前「大野在来」
上庄里芋としてブランド化。もっちりして滑らかだが、冷えると締まる。5000円以上
5)中巨摩東部(竜王町)「やはたいも」
200年の歴史がある。甲斐市(旧竜王町)の西八幡地区特産の伝統野菜。釜無川の氾濫によって堆積した土地で栽培。形状は石川早生に似ている。800円
6)富里マル新「セレベス」
「アカメ」とも呼ばれ、全体に赤みが特徴。親・小芋を食用。1800円
7)JA遠州中央「海老芋(唐芋)」
唐芋を特別に栽培し、エビ状にした物。ほくほくした粉質で、ややかたく、独特の味わいがある。京都から伝わった。4000円
8)国富「京芋」
正式にはタケノコイモ。地上に可をを出している形がタケノコに似ている。肉質は粉質。2000円
 
リンゴ  
1)ヤマダイ「弘前ふじ」
1984年青森県で発見された「ふじ」枝変わり。収穫期がふじより一ヶ月早い。ジューシーで、ふじに比べ酸味が少なめ。36玉 3500円
2)入忠宇野「千秋」
秋田県果樹試験場育成。「東光」×「ふじ」。肉質は緻密で甘酸適和だが、未割れしやすい。32玉 3500円
3)JAいわい東「ジョナゴールド」
ニューヨーク州農業試験場で「ゴールデンデリシャス」×「紅玉」によって生まれた。日本は70年に導入。風味は紅玉に似ているが。紅玉より酸味が少なくジューシー。32玉 3000円
4)JAみなみ信州天竜みさと「紅玉」
1800年ごろ、米国ニューヨーク州のリック農園で発見。「エソパス スピッツェンブルグ」の実生とされる。米国名は「ジョナサン」。酸味の効いた味で加熱すると柔らかくなるため、加工に最適。46玉 2800円
5)共和園芸「秋映」
長野県中野市の小田切氏が「千秋」×「つがる」から育成。93年登録。甘酸適和。 4000円
6)JA須高「シナノゴールド」
長野県果樹試験場で「ゴールデン」×「千秋」を交配育成。99年登録。300〜350g王林より大きく、果形は長円形、果色は浅黄色。硬さは中位、果汁多く、甘酸適和旨い食味である。3500円
7)JAながの「シナノスイート」
長野県果樹試験場で「ふじ」×「つがる」を交配育成、96年登録。350g前後と大果、果色は濃赤色で縞状に着色。果肉の硬さは中位で、甘味が強く、高糖度である。中生種の主要品種として期待されている。28玉 3500円

【お断り】試食及び講師の料理説明は会場がにぎやかなので音声がよく聞き取れず、省略しました。あしからずご了承ください。